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浦和地方裁判所 昭和54年(ワ)46号 判決

原告

小田切しげ子

右訴訟代理人弁護士

城口順二

須賀貴

梶山敏雄

被告

社会福祉法人恩賜財団済生会

右代表者理事

大髙義贒

右訴訟代理人弁護士

桑原收

青木孝

小山晴樹

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  原告

「1 被告は、原告に対し、三一七四万円およびこれに対する昭和五〇年七月二五日から支払済まで年五分の割合による金員を支払え。2 訴訟費用は被告の負担とする。」との判決ならびに第1項についての仮執行宣言

二  被告

主文と同旨

第二  当事者の主張

二 請求の原因

(一)  原告の被告病院への入院までの経過

1  原告は、昭和四八年一一月九日、川口市内において、訴外沢田運転の自転車に衝突されて路上に転倒し、上肢打撲傷等の傷害を受け、その後、昭和四九年一月一四日鳩ケ谷市の八百板整形外科医院、同年三月五日川口市内の井上整形外科医院等数ケ所の医院や病院を転々として診療を受けた。

2  昭和四九年一〇月一六日から東京大學医学部附属病院(以下「東大病院」という。)整形外科で通院治療を受けたところ、肩峰切除の手術をする必要があるが同病院には病室に空きがないため六ケ月先でなければ手術はできないといわれ、同病院の依頼状をもつて昭和五〇年七月一日被告の通称埼玉県済生会川口総合病院(以下「被告病院」という。)を訪れ、同病院勤務の斉藤俊医師(以下「斉藤医師」という。)の診察を受けたが、やはり手術の必要があるとの診断があり、同月八日入院した。

(二)  被告病院における肩峰切除手術

1  原告は、被告病院に入院後、造形剤検査等をうけた後、昭和五〇年七月二四日、前記斉藤医師執刀のもとに肩峰切除の手術を受けた。

2  しかし、右手術の結果、右腕が固定しなくなり、腕が肩の部分からブラリと垂れ下がる状態になつてしまい、痛みは手術前に増して激しくなつた。

3  そのため、翌五一年三月四日、斉藤医師執刀により、二回目の手術がなされたが、右腕の症状は殆んど変らず、昭和五一年五月一八日被告病院を退院した。

(三)  手術の結果

1  被告のなした手術は原告の状態を悪化させただけである。手術の結果、痛みは手術前に比べ倍加し、手術前は日常さして不便でないほどに動かすことができた肩関節は、手術の結果激痛のため日常生活において右上腕の挙上すら不可能な状態になつてしまつた。この原因は肩峰を除去してしまつたことにある。

2  その後、昭和五二年五月四日、原告は浦和整形外科診療所において右肩関節固定術をうけたが、前記被告病院における手術の後遺症を改善するためのものであり、脱臼をなくすためになした処置である。しかしながら、右固定術によつて新たな関節運動の制限は生じていない。

(四)  被告の責任

A  債務不履行責任

患者から診療を委ねられた医療機関としては、手術の必要ないし適応が合理的根拠をもつて認められる場合でない限り手術をすべきでない。

しかるに、本件の場合、原告から診療の依頼をうけた被告病院は、右義務に違反し、手術の必要ないし適応について、何ら合理的根拠が認められないのに肩峰切除手術をし、前記のような結果を生ぜしめたものであるから、右手術により原告に生じた損害につき民法四一五条による債務不履行責任を負わなければならない。すなわち、

1 まず、原告の疼痛の原因は受傷機転、受傷後の症状等からみて習慣性肩関節脱臼と診断さるべきものであり、これに対する治療方法としては、対症療法、保存療法によるべきところ、被告病院の担当医である斉藤医師は右肩関節に腱板損傷(以下「肩板損傷」という。)ありと誤診し、観血療法(肩峰切除手術)をするという誤りをおかした。

2 かりに右のようにいえないとしても、疼痛の原因がわからないうちは、対症療法、保存療法によるべきであり、手術をすべきではないのに、検査が不充分(関節造影は造影剤不足のため不確実なものであつた)で症状の的確な把握をしないまま前記肩峰切除手術(日本では殆んど行われていない手術)をするという誤りをおかした。

3 かりに手術にふみきつたことはやむをえなかつたとしても、皮膚切開をしてみて肩板損傷の有無等状態を確認して肩峰切除が避けられないと確認した後でなければ肩峰切除をすべきでないのに、皮膚切開をしてみても肩板損傷が確認できないのに漫然肩峰切除をするという誤りをおかした。

B  不法行為責任

1 前記斉藤医師は、右A1ないし3の過失により原告に前記の結果を生ぜしめたものであるから、同医師には原告に生じた損害につき民法七〇九条による不法行為責任があるところ、被告は被告病院において斉藤医師を使用して診療に当らせていたものであるから、斉藤医師の前記行為により原告に生じた損害につき民法七一五条による使用者責任を負わなければならない。

(五)  損害

原告は、右債務不履行ないし不法行為により左記の損害を蒙つた。

1  休業損害 三、二〇〇、〇〇〇円

2  逸失利益 二二、四〇〇、〇〇〇円

3  慰藉料 五、〇〇〇、〇〇〇円

4  弁護士費用 一、五〇〇、〇〇〇円

合計三一、七四〇、〇〇〇円

(六)  よつて、原告は、被告に対し、債務不履行または不法行為に基づく損害賠償として三一、七四〇、〇〇〇円およびこれに対する肩峰切除手術実施の翌日である昭和五〇年七月二五日より支払ずみまで年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

三 請求の原因に対する被告の認否〈省略〉

第三  証拠関係〈省略〉

理由

一交通事故の発生と原告の被告病院への入院までの経過

1  〈証拠〉をあわせると、原告は昭和四八年一一月九日川口市内の路上を歩行中、訴外沢田運転の自転車に背後から右上腕部に衝突されて路上に転倒したこと、その後右衝突による痛みがとれなかつたことが認められ、そのため、昭和四九年一月一四日から鳩ケ谷市内の八百板整形外科医院、同年三月五日からは川口市内の井上整形外科医院等数ケ所の医院や病院を転々として診療をうけていたことは当事者間に争いがない。

2  その後、昭和四九年一〇月一六日から東大病院整形外科で通院治療をうけたところ、同科医師より肩峰切除の手術をする必要があるが、同病院には病室に空きがないため六ケ月先でなければ手術はできないといわれ、同病院の依頼状をもつて昭和五〇年七月一日被告病院を訪れ、被告病院の斉藤医師の診断を受けたが、やはり手術を必要とするとの診断を受け、同月八日入院したことは当事者間に争いがない。

ところで、東大病院における診療経過についてみるに、〈証拠〉をあわせると、次の事実が認められる。

原告は、昭和四九年一〇月一六日、右肩関節痛を訴えて東大病院整形外科を訪れた。じ来、同科の担当医は原告に通院を求めてX線検査等諸々の検査をしたが疼痛の原因は必ずしも明瞭とならず、また注射、投薬による治療を試みたが、原告の自覚症状は改善しなかつたので、昭和五〇年二月二〇日、同科所属の教授以下の医師と系列病院勤務の同科出身者等で構成する臨床討論会に付議して診断と治療方法について検討したところ、手術をしても軽快は望めないので当面対症療法でいく方がよいとの意見が有力であつたので、そのまま保存療法を続けたが、依然効果はなかつた。そこで、担当医は同年五月一六日原告に対し関節造影を実施した結果、肩峰下部に造影剤が一部漏れているという所見があり、これまでの臨床所見と総合すると、造影剤漏れの附近に肩板損傷等の異常があるのではないかという疑いがあるので肩峰を切除することにより異常部分に適切な処置がとれるのではないかと考え、入院手術が必要と判断したが、前記のように空室がなかつたところ、一日も早く手術をうけて痛みから解放されたいという原告の希望もあり、原告が自ら選んだ被告病院で原告が治療をうけることを了承し、昭和五〇年七月二日付の診療依頼状を発行した。右依頼状には「当科で行つた右肩の関節造影術が外側(肩峰下部)にもれております。当科では右肩峰切除術の適応として入院予約しましたが、患者は早期手術を強く希望しておりますので、よろしくご配慮下さい」との旨の記載がある。

以上の事実が認められる。

二被告病院における診療経過

1  原告は、被告病院に入院後、造影剤検査等をうけた後、昭和五〇年七月二四日、前記斉藤医師執刀のもとに肩峰切除の手術をうけ、さらに翌五一年三月四日二度目の手術をうけ、同年五月一八日被告病院を退院したことは当事者間に争いがない。

2  そこで、この間の経過についてみるのに、〈証拠〉をあわせると、次の事実が認められる。

(1)  被告病院では原告に対し独自に検査をし、とくに七月一八日には、右肩関節部造影を施行したところ、造影剤がやや不足だつたのか、必ずしも明確ではないが、肩峰下包に漏れはないものの三角筋下包に漏れていた。そこで、担当医の斉藤医師は、他の臨床所見とも総合して原告には肩板損傷があり、肩の外転時にこの肩板損傷部が肩峰にひつかかるのが疼痛の原因で肩峰切除手術の適応があると診断し、同年七月二四日手術を行つた。手術の内容およびその際の所見は「肩鎖関節部から三角筋部に向かつて四センチメートル程度皮膚切開し、肩峰に付いている三角筋を骨膜下に切離し、三角筋を皮膚切開にそつて縦切す。そして、肩鎖関節部を露出して、肩峰をよく出し、線ノコで肩峰を三角筋に直角に二・五センチメートル程切り、除去す。ここで肩峰の下棘上筋腱、棘下筋腱の上腕骨頭への付着をみるに、別に断裂している所を見なかつた。結局疼痛の原因は外転時に棘上筋腱が肩峰にひつかかるせいではと考え、先に切離した三角筋を肩甲棘の骨膜と軟部に再接着し、皮下皮膚を縫合して、肩峰切除のみにして手術を終了する。」というものであつた。

(2)  術後、三週間程して三角巾固定をはずして機能訓練、温熱療法、変形徒手矯正、水中機能訓練等の理学療法を行つたが、疼痛の主訴は軽減しなかつたので、斉藤医師は手術部の癒着による痛みではないかと考え、昭和五一年三月四日再度手術を行つた。手術の内容とその際の所見は、「全麻(気管内押管)前の皮切ではいり、皮下を剥離したが、あまり皮下の癒着なし、肩峰に付着していたはずの三角筋の先端を三角筋の場所迄再接着する。関節はあけてみなかつた。したがつて、棘上筋の大結節への付着部も確かめず、手術後外転シーネで固定する。」というものであつた。同年三月三〇日外転ネジをはずし、挙上運動を試みさせたりなどしたが、依然右肩の疼痛の主訴は続いた。同年五月一八日原告は被告病院を退院した。

3  退院後の経過

〈証拠〉をあわせると、次の事実が認められる。

原告は、被告病院を退院後も月に二回から四回の割合で被告病院に通院して治療をうけていたが、症状は依然として同じであつたので、被告病院の斉藤医師は原告の希望もあり昭和五一年一〇月東大病院に対し原告を診察してくれるよう依頼したところ、東大病院は同年一〇月一二日原告を診察し、「現在は比較的運動範囲も良好でどうしてこのように痛むのかはつきりしないが……自動運動練習以外に特に治療方法はない。」旨の所見を被告病院の斉藤医師に伝えた。原告は、昭和五一年一一月五日まで被告病院に通院したが、その後は通院をやめた。

三その後の経過

〈証拠〉をあわせると、次の事実が認められる。

原告は被告病院への通院をやめた後、昭和五一年一一月一五日、浦和市所在の浦和整形外科診療所を訪れて診断をうけたところ、同診療所は、触診で原告の右肩は脱臼状態にあると診断し、じ来昭和五二年三月一六日まで六回ほど外来患者としてステロイドの注射をするなどの治療をした後、昭和五二年五月七日には入院させ、同月九日右肩関節固定術を施し、ギプスで固定し、一二月六日これをはずした(この間、同年六月二日には同診療所を退院している)。しかし、原告は依然痛みを訴えたので、昭和五三年一月六日から同年一二月一一日までの間主として三角筋部に鎮痛剤を三十数回にわたつて注射した。原告の痛みは依然続いたが、本人の自覚によれば苦痛は和らいだ。

原告は、現在身体障害者福祉法に基づく身体障害者手帳の交付をうけている。

四被告病院の責任の有無

A  債務不履行責任

(一)1 前記一12に認定したような経過で原告が昭和五〇年七月一日被告病院を訪れて斉藤医師の診察をうけ、同月八日入院したことは当事者間に争いがないから、昭和五〇年七月一日被告病院と原告との間には原告の上肢部の治療を目的とする診療契約が成立したものと認めるのが相当である。

2  そうすると、被告病院は、原告に対し、右診療契約上の義務として、原告の臨床症状に応じ、医療専門機関としての善良な管理者の注意をもつて、当時における一般の医療水準に従い診療に当るべき義務を負うたとみるべきである。

(二)  そこで、被告病院には原告が主張している義務違反があるかどうかについて考えてみたい。

1 まず、原告の症状は習慣性肩関節脱臼と診断すべきであつてこれに対する治療方法としては対症療法、保存療法によるべきであるのに、肩板損傷ありとして観血療法(肩峰切除手術)をした点に義務違反があるとの原告の主張について検討する。

たしかに、鑑定人室田景久の鑑定結果および鑑定証人室田景久の証言によれば、原告の受傷機転、受傷後の症状、術者の手術所見、術後の症状からみて、原告は習慣性肩関節脱臼と診断さるべきであり、肩板損傷があるかどうかは疑わしいというのが前記鑑定人の所見であることが認められ、また証人和田博夫の証言によれば、前記認定のように昭和五一年一一月一五日から原告の診療に当つた浦和整形外科診療所所長和田博夫医師(以下「和田医師」という。)も原告の症状は脱臼の症状であるとみていたことが認められるけれども、他方〈証拠〉をあわせると、東大病院におけるX線検査でも関節脱臼の所見はなく、被告病院における診療を担当した医師達はもちろん前記和田医師、室田医師でさえ、被告病院において本件手術前に撮影したX線写真、手術後に撮影したX線写真さらには浦和整形外科診療所において撮影したX線写真のいずれにも脱臼は認めていないことが認められ、しかも〈証拠〉によれば受傷時に比較的近い時期に診療した井上整形外科の井上仁医師も右肩関節腱板損傷という診断をしていること、また東大病院も被告病院も前に認定したような経過で肩板損傷を疑い肩峰手術の必要があると判断したのであるから、当時原告に習慣性肩関節脱臼があつたかどうかは兎も角、当時の医療水準上原告の疼痛の原因を脱臼と診断せず保存療法を続けなかつたことが当時の医療水準を逸脱するもので診療契約に違反するものであるとまでいうことは困難である。

2 また、少なくとも疼痛の原因がわからないうちは対症療法、保存療法にとどめるべきである旨の原告の主張について検討する。

たしかに、昭和五〇年二月二〇日の東大病院整形外科の臨床討論会における検討の結果では手術をしても軽快が望めないので当面対症療法でいく方がよいとの意見が有力であつたことは前認定のとおりであるが、前記認定の事実関係によると、そのまま保存療法を続けたが、効果がなかつたので担当医はその後の検査結果等もふまえて肩板損傷を疑い肩峰切除術の適応があるという判断をするに至つたこと、しかし病室の関係等から被告病院で診療するようになつたが、被告病院は右東大病院における診療の経過と結果をうけて独自に関節造影検査をしたところ造影剤不足のためか明確ではないが三角筋下包に漏れがあり、他の臨床所見と総合すると、肩板損傷があり肩峰手術の適応があると診断して手術にふみきつたというのである。

そうすると、被告病院の斉藤医師は単に前記造影剤検査のみによつて診断し手術にふみきつたわけではないし、また証人斉藤俊の証言によれば、造影剤不足といつても関節造影は失敗というほどのものではなくしかも再度の関節造影をすることによる感染の危険等を考え再度の造影を試みることなく手術にふみきつたことが認められるから、斉藤医師が手術にふみきつたことを医師としての診療上の裁量権の範囲を超えたものとは断じ難い。

したがつて、この点も原告主張のように被告が診療契約に違反したとはいえない。なお、鑑定証人室田景久の証言中には「肩峰切除手術は日本では殆んどやられていない手術である」旨の部分があるが、〈証拠〉をあわせると、日本でもかなり行われている手術であり、斉藤医師自身本件のほかに三件肩峰手術をしたことが認められるから室田証言中の右部分は採用できない。

3 そこで、皮膚を切開しても肩板損傷が確認できないのに漫然肩峰切除手術をしたとの原告の主張について検討する。

本件肩峰切除手術の内容およびその際の所見は先に認定したとおりである。

これによれば、斉藤医師は切開後肩板損傷の有無等を確認しないまままず肩峰を切除したこと、ところがその後肩板の表面に損傷を発見できなかつたことは明らかであるが、証人斉藤俊の証言によれば、前記のように関節造影の結果では三角筋下包に漏れがあつたので肩板の裏側に断裂があるのではないかと考えたものの縫う程度のものではないと考え裏側の傷口をみる努力をしないまま手術を終了したことが認められる。

ところで、肩板損傷による痛みをとり除くために肩峰を切除しようとして皮膚を切開した場合でも肩峰を切除する前に肩板損傷の有無程度等を確認し、果して肩峰切除の必要があるかどうかにつき吟味するというのが医療の常道であることは証人和田博夫の証言ならびに弁論の全趣旨により認められる。証人斉藤俊の証言中には「肩峰切除をしないと肩板を見ることができない」旨の部分があるが、肩峰を切除しなくても肩板損傷部分を縫合できる旨の鑑定証人室田景久の証言に照らし措信できない。

そうすると、斉藤医師が皮膚切開の後は、術前に存在すると考えた肩板損傷が実際存在するのかどうか等を確認し、再度肩峰切除の必要があるかどうかを確認することに努めないままいきなり原告の肩峰を切除したことに合理的根拠を見出せないから、本件手術は診療契約上の義務に違反するといわざるをえない。

(三)  右義務違反と術後の原告の症状との因果関係

ところで、前記認定の事実経過(二、三)によれば、本件手術後も原告の肩の痛みは軽減せず、症状は改善しなかつたので、被告病院において癒着を疑い再手術をしたが、依然疼痛は去らなかつたので、さらに浦和整形外科診療所で右肩関節固定術をうけたところ、痛みは和らいだことが認められるが、鑑定証人室田景久の証言によれば、原告は現在右腕を回転することができず、約七〇度の角度で上に開くことができるだけという状態にあることが認められる。

しかしながら、肩峰切除手術が原告の術後の疼痛と運動制限の原因をなしているといえるであろうか。

まず、疼痛の原因についてみるのに、前記のとおり自転車との衝突により本件手術前にすでに激しい疼痛があり原告自ら保存療法では我慢できず早急な手術を望んだ位であるから、本件手術が原告の症状を好転させることができなかつたとはいえるとしても、右手術がその後も続いた原告の疼痛の原因とは断定できない。

また、前記右腕の運動制限は浦和整形外科診療所における関節固定術によつて生じたものであることは鑑定証人室田景久の証言により認められるところ、証人和田博夫の証言によれば、同診療所が原告に対し肩関節固定術を施したのは原告の右腕は九〇度まで上げると下がつてしまうという状態にあり、これは三角筋萎縮によるものであるから関節固定術が必要であると考えたことが認められる。

ところで、証人中嶋寛之の証言によれば、肩峰切除手術は比較的後遺症の少ない手術とされてはいるものの肩峰切除後における三角筋の先端の固定の仕方や後療法等の関係で三角筋の機能不全が生ずることもないわけではないことが認められるけれども、前記のような浦和整形外科診療所における症状が本件肩峰切除手術によつて生じたものと認めるだけの証拠はない。しかも、鑑定人室田景久の証言によれば、肩関節の固定性が全くない場合でない限り関節固定術は適応しないことが認められるところ、本件手術により肩関節固定性が全くなくなつたということを認めるに足りる証拠はないので、右肩関節固定術の実施を必要ならしめたのが本件手術であるとはいえない。

そうすると、本件手術が術後の原告の疼痛、運動制限の原因をなしているともいい難い。

(四)  したがつて、その余の点について判断するまでもなく、原告の被告に対する債務不履行に基づく損害賠償請求は理由がないことになる。

B  不法行為責任

不法行為請求について検討するのに、原告が義務違反と主張する三点のうち二つの点は認められず、義務違反と認定できるものもそれと術後の原告の症状との間に因果関係があるとはいえないことは前記のとおりである。

そうすると、その余の点について判断するまでもなく、原告の被告に対する不法行為に基づく損害賠償請求も理由がないことになる。

五むすび

以上の次第で、原告の被告に対する本訴請求はいずれも理由がない。

よつて、本訴請求を棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官小笠原昭夫 裁判官野崎惟子、同樋口裕晃は転勤のため署名押印できない。裁判長裁判官小笠原昭夫)

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